オークション10話

さぁ、2001年2月。
90日の薄氷を踏む、まさしく”自転車操業”の始まりです。

でも私は大企業ではありませんから再生法適用なんてありえません。でもパートさんの給料と家賃さえ支払えば、自分は給料9割カットすれば良い事です。
(9割カットして100万あれば食って行けます(*o☆)\バキッ)

海外モデルの本格販売は、2001年5月からです。
企業って所は1年の実績がないと動いてくれません。
それまでも売れているのは分かっておりますがメーカー側からすれば
時計店に売掛可能な”与信額”というものがあります。

よって今までの1/3入金では、与信額を超えますので商品が出ません。
よって”全額入金頂ければ商品の提供は可能です”。
こちとら、そんな状況ではありません。

出せないなら仕方がない。出る範囲でやるしかありません。
メーカー側にしても売れない時期に商品さえ投入すれば売れる店がある。
でも、資本的に無理がある。

こうなれば貧乏ショップなど、相手にしないで資本力のある所で
まとめて買ってくれる所を探す方が手間が省ける訳です。

しかし・・・恐らく当時では話を持ち込んでも販売店に相手にされなかったでしょう。
売れる実感を掴んだのは当時では私だけなんですから。
(今はそういう所も多々ですから、放出されましたが)
また分かっても”パソコンが触れて資本力のあるお店”と限定されます。
ましてオークションに参加出来るとなれば更に

メーカー側も歯がゆかったとは思おりますが、こちらも歯がゆい。

そこでオークションでの”中古メカウォッチ”です。
これは”仕入額0”です。しかし父が手放しても良いって本数からは、
売れ行きにもよりますが1年が限界。それを当てに融資などは受けられません。

さぁ、また難問。中古時計を如何に売るか?。相場は?。起こりえるクレームは?。
まだ中古腕時計を出品してる出品者が少な過ぎて相場や評価が参考に出来ません。
こうなれば兎に角は出品して見るしかありません。

最初のオークションは新品のクォーツ商品ばかりでしたから気軽でした。
それでも”写真と色合いが違う”とか”目立たないがキズある”。
また”クォーツ腕時計ですが月差10秒ですが如何な物か?”などある訳です。

そこへ中古のメカウォッチですからクレームを考えたらとても出品は出来ません。
他の出品者を見ると「中古品ですから年数相応のキズはあります」って
写真では分からない。
そんな写真で出品しております。私の感覚ではとても無理。
これはもう写真で表現するしか方法が無いのです。

数少ない出品者の中古機械時計落札の評価を見ると。

「非常に良い」

とってもアンティークな雰囲気が気に入ってます。素晴らしい商品を有り難うございました。ジリジリって巻く感じがGOO!早速、明日から海に連れていってあげますね!

”おいおい、海にって・・・そんな感覚で購入してくるのか?”凄い世界だぜ。

先ずはメカウォッチでも中古よりは安心な「デッドストック」です。
40年前の定価14.000円くらいの商品が2〜3万円で売れる訳です。
リコーTAKANO何て軽く5万円は超えました。最高はIWCの18万でしたか。

父も急に活気ついて”ガラ箱”整理。
この時に親父も売れているのは分かるがテレビでは無いし状況が分かりません。
そこで「ワシもインターネット見たい!」と言い出します、当然ですね。

そこでオークションで中古i Macを探します。
当時でも3万円くらいで多数ありましたから落札して。
プロバイダー契約して父の修理机の横にパソコン設置。

今でも父は「インターネット=オークション」と思っておりますね(;^_^A

当面は海外モデルよりも「中古時計」です。
2000年、年末から中古腕時計の出品を始めて2001年3月には、
もうデッド品の主なものは売り尽くします。あとは”ガラ箱”出品。

この頃と平行して、父の様な年寄りが居る店に、
オークション出品の為のデッド品狙いの購入者が続々と来店し出したそうです。
時計店で定価で買い取って来ても商売になる訳ですから。

もう、そういった業者は全国の時計屋を回り尽くしているでしょう。

売り上げは父と折半。こちらは毎月売り上げが食い込んでる訳で、
一時しのぎには助かりました。父にとっても良い小遣いです。
ただ出品してメールでやり取りしている私としては、かなり神経を消耗しておりますが(v_v)

でもこの中古は仕入れる訳ではありませんから、いつかは在庫は尽きます。
そしてオークション参加から1年の「2001年5月」です。

オークション参加丁度、1年。毎月の仕入れが5〜10万くらいだった店が1年通期で、
毎月20〜30万買っている実績が出来ました。

そして2001年5月。「朗報」が届きます。

メーカーさんから1年通期の納入金額が大幅にアップした実績で
本社から”与信額倍増”の決定がおりたと。
以前にも書きましたが、この2001年初頭に私は「廃業か融資か」の判断をしなければなりませんでした。
でも、父のデッド品や中古でしのいで来たので「廃業も融資も無し」で、
ここまで来ましたが”中古品のネタ切れ”。
O 社はもう当てにしていなかったので、これはもう「廃業しか道は無し!」
と判断した所の「朗報」には心躍りましたね。

この朗報、もう1ヶ月遅ければ廃業でした。これで薄氷を踏む90日にピリオドを打ちます。

オークション参加1年が経過。もう写真撮影もメールのやり取りも
発送作業も充分な経験を積んでおります。大量の入荷にも充分対応が出来ます。

タイミング良くある日、駅の近くの交差点を歩いていると、取引銀行の行員Nがバイクで信号待ちをしていました。
阪神淡路大震災と長期療養のダブルパンチの時、助けて頂いて、それからの付き合いです。
その時の融資残高も無くなったので追加で借りて欲しいと、以前から来ていましたが。こちらが断っていた事情があります。

「おっ、久し振り!」

「あれ?もう店閉めたのでは無かったですか?」

「それが事情が変わった!追加融資いくで。」

「えっ!!融資って?・・・・廃業だったのでは・・」

「おい、信号が青に変わってるぜ!」と後ろからクラクション鳴らされてましたね(;^_^A

数日中に飛んできて「契約成立」。
これで当面の資金は充分、海外モデルが大量に入荷し始めます。

それからはイケイケのオークションでした。2003年5月までは・・・

続いて「オークション11話」

このオークション話は、ある一通のメールから始まった・・

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