オークション2

2006年1月21日

2000年4月某日。”友人Y"がやって来ます。ブログにも書きましたが彼はプラント会社のエンジニアで、私のパソコンが始めてインターネットに接続した瞬間を作り出した奴です。

ブログでも書いた”革つなぎで配線してくれた彼ですね”(;^_^A

「お久ぁ〜!どう元気?。大分表情も出てきた様で順調そうやね」

「そう?そう見える。」

「見えるよ。でもまぁ、まだ全くの健康そうとは、お世辞にも言えないけどね」

「やっぱそうよね。ところでもう店閉める事にしたのよ。廃業、お手上げですわ」

「そうか・・・・今やあちこち倒産してるものなぁ。ウチの会社も・・・」

「肝心の体力が不十分では、どうしようも無いわ。潔く健康に徹しますわ」

「だったら閉店セールでもやるの?」

「やりたいけど、そんな体力は・・・見ての通り!」

「そっかぁ・・・だったらオークションで叩き売ればええやん」

「オークション?何、それ?」

「知らないの?折角ネットに繋いでやったのに何見てるんだ?」

「ホームページの勉強はしてるけど・・・商用レベルなんてさっぱりで挫折」

「ホームページか・・・オレはその世界は知識が無いわ。でもオークションやったらホームページなんて関係ないやん」

「ホームページ無しで売れるの?」

「ん・・・売れるかどうかは分からないけど・・・ホームページよりも手軽なのは確か」

「それってどうするの?」

と私のパソコンの前に座って”Yahoo JAPAN”を表示させます。そして”Yahoo Auction”を表示。

「いいか。ここは分かりやすく言えば”競り市場”自分にとっての不要品でも必要な人が居れば値段が競り上がる仕組みなのよ。」

「って事は・・・個人で無いと参加出来ない?」

「ん・・基本はその様。でもオレが見ても商売人にしか見えない出品者も居る」

「何で、それが分かる?」

「いいか。ここをクリックして、こうすればこの人の出品一覧が見られる。どう?素人が同じ関連の商品100も出品出来ると思うか?」

「確かにそうだが・・・個人出品って書いてあるけど」

「建前はね。時計が売れるかどうかまではオレには分からないけど、商売になるかどうかの判断は、お前の方がプロなんだから見たら分かるだろう。まぁ儲け無くてもええやん。どうせ廃業だろ。利益なんてどうでもええやん。原価切っても現金に変わればヨシと。」

「でもこれって素人ばかりやろ?信用できるのか?」

「そんな事、気にするなら参加は出来ない。オレはもう30回くらい売買したけど、まだ詐欺には引っかかっていない。あとはこの評価を信用するしかないな」

「それもそうだが・・・どうやって参加する?」

と、IDの取り方や参加の仕方だけ教えてくれました。

「まぁ。最初は何でもいいから落札(購入)してみてオークションの雰囲気を掴みな」と、帰って行った・・・

それから毎日オークションを偵察。先ずは腕時計がどれだけ出品されているのか?また相場は?何が売れてる?。

そして我々接客業の者として一番気になるのがクレーム。店なら対処法は身につけているが・・・ココはネット。と、評価をたどるとやってるやってる。

”それ言えば終わりだろう”の文字が並ぶ並ぶ。素人同士でやる訳だからけんか腰。

まして、その前年、1999年。あの”東芝クレーマー事件”がネットでは騒がれましたので過敏になっております。参加するかどうか?

でも、これなら座って出来る。まぁ在庫処分ですから気軽でもありましたが。

普通はオークションと言えば”先ずは落札”(購入者)として参加しますが私はいきなり出品から参加!今、考えれば”評価-新規”でいきなり出品する訳ですから良くやったものだと(;^_^A

その前に。先ずはデジカメを購入しないと(;^_^A。(その様子はブログにも書きましたが)

2000年5月半ば、オークションデビュー!

当時ではデジカメで腕時計を撮影。しょぼい写真で¥10.000で出品。

何度も出品したオークションを見ますが、当然競りません。そして入札もなく3日が過ぎます。

そして終了。Yahooからメールが来ます。開いてみると。

「おめでとう御座おります!あなたの商品が落札されました。落札価格¥10.500」

そっか・・・早くから入札すれば更に入札が入る。よってギリギリに入札して瞬間に入札が入って終了か・・・・凄い世界だわ。

さぁ、問題はここから。トラブルの始まりかも知れない。そしてメールのやり取りがあって”振り込みましたので確認後発送宜しくお願いいたします。”と。

慌てて銀行の個人の口座を確認。ちゃんと振り込まれている・・・・

スーパーのサービスカウンターで”クロネコヤマト”の受付もやってますから発送は簡単。さぁクレームはここから始まるぞ!と思っていたら評価メールが。

「”非常に良い”迅速な対応で安心したお取引が出来ました。ヘタなショップよりも優秀ではないでしょうか。信用の出来る方です」\(^o^)/

(私としては普通の対応ですが、わざわざ”信用の出来る”って書いてくる辺りがこのオークションの世界を物語っております。)

実際評価30まではヒヤヒヤの取引でしたが、慣れてくると何でもなくなります。どんどん出品!でもデジカメ撮影がイマイチ。でも2000年当時のヤフオクは、どんなモノでも写真を掲載しているのみでアドバンテージ。

写真無しでの出品は1年が限界か?。何が何でも写真だけは綺麗に撮れなければ生き残れない世界になってくるだろうと思いました。

でも廃業を決めたところ。1年後の世界はどうでも良いや!と店の商品をヘタな写真で出品しまくり。そして5月半ばに参加した5月のオークション売り上げは・・・半月で10万。

しかし・・・これは原価を切っての出品だから売れる訳で、普通の商品は売れないだろうと、試しに店の商品を僅かですが、ちゃんと利益を乗せて出品。

そして翌月の6月、売り上げ40万・・・・なな・・・何と、凄過ぎる!

何と言う世界なのだ・・・・ただただ呆然・・・そして・・・これは店を閉めなくても行けるんじゃ無いか!?銀行にもスーパーにも

「ちょっと待ったぁ〜!営業継続です!」

「営業しますって・・・店の中ガラガラですよ。仕入れ止めているんじゃないのですか?」
そりゃぁ、そう思われても仕方がないですね。売れてるとは言えないわ(;^_^A。

閉めてる場合じゃ無い。仕入れしなくてわ!

今、思えばあの頃のオークションは始まったばかりで出品者も少なく。皆、何かオークションで買ってみたい人ばかり。まさしく”入れ食い状態!”
(この状態は1年で消えます。とにかくオークションの変化は早いです)

7月にはデジカメの腕も上がってますし、こちらマック使い。写真さえ上手く撮れたら加工はお手の物。(その様子もブログで紹介)2000年当時のオークションでは私の出品写真は際だってました。それもあってか試しに雑貨問屋から仕入れた定価¥¥10.000の”LEDデジタル”これを定価の¥10.000で出品!そして落札・・・

田舎町の男性で「こんな商品が都会では買えるのですね」と。そうか!何も安いだけでは無く、店では売れないが近くに店が無い人にとっては値段は関係ないのだ!さすがネット、全国が相手。2000年はずっとこのペースで行きます。

廃業予定の8月の売り上げ60万です、オークションのみで。よく閉めてしまわなかったモノだと胸を撫で下ろします。しかし、その分の忙しさは半端ではありません。売れて行く訳ですから、出品の為の撮影をしなくてはいけません。そして梱包作業が必要で、メールの量が増える訳です。質問も毎日数件来ます。

全部一人でやるわけですから大変。当時まだ体も万全では無いですから、午前中のみはパートさんも居ます。私の超多忙ぶりは分かるのですが、梱包は午後になりますから午前中のみ勤務の人では手伝えません。まして撮影やメールなどは。

発送はスーパーのカウンターに預けてましたが、8月。毎日3つも4つも荷物持っていけば確かに変です。それまでは年に数個しか発送なんてしていない訳ですから(;^_^A
「○○さん・・・・・いったい・・・何してるの?」

2000年当時では説明しても誰も理解しなかったでしょう。続きへ

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