修理を外注するに至った経緯

ここでは店の修理を外注するに至った経緯についてあれやこれや語ってみます。(長いですが)

私の父は時計技能・一級技能士ですから本来なら親父に店の(2006年5月までダイエーに居た頃)修理を任せるのが効率が良い訳です。それをあえて外注に出すのは何故なのか。

1980年当時。最初は店の(ダイエーのテナント)修理は父に頼んでいたのです。ダイエーの看板があるとお客様は”納期や値段に容赦はありません”。納期の遅れや見積料との価格差は直にクレームに繋がります。20年くらい前なら、まだ意外にお客様ものんびりしたものでしたが1990年頃からですか。お客様の雰囲気が変わってきたのは。これはダイエーの変化に合わせて客質が変わってきたと感じた頃でした。今考えれば、いくらお客様とはゆえ良くもまぁ、あれだけ言いたいことが言えるわって感じるくらいの環境でしたが。それが笑い話では役に立った次第です。

ちなみに私の父は大正生まれ、何も大正生まれの方が皆そんな感覚とは言おりませんが親父の性格では修理してから数日後、また止まったという事があればその時に、また直せば良いと思っております。

親父の時代を物語る話で親父がバイクの運転免許書を取った時の話ですが。1950年代らしいですが何でも近くの公園で”あの松の木をバイクで回って来て下さい”。と言われて出来れば「合格」って時代だったらしいです。まさか一級技能士の試験はそこまで簡単では無かったと思おりますが、親父が持ってる一級技能士は昭和41年(1960年代)の取得ですから今の基準とは、かなり違ったものであることは確かでしょう。

でも、その後もずっと現場で修理はしておりますから、資格だけとって修理が出来ない”ペーパー職人”(そんな言葉あるんかい?(;^_^A)ではありません。ちなみに腕時計の修理は別に資格が無い者が行っても何ら問題はありません。

また親父は昔からの自営業者ですから世間の雰囲気が分かりません。(自分の世界の中で生きてますから仕方が無いのですが)。私でもダイエーでの経験が無ければ親父と同じ様なものでしょう。ある意味ダイエーって所で25年も居たら、かなり鍛えられましたか。

親父の店では修理した腕時計が数日後止まったとしましょう。

「おっさん、こないだ直したのに止まったで」

「それはそれは、すんまへん。ほな見て見ましょう。」

と、その場で修整してから。

「ほな、これで様子をみて貰えますか?」

「おっさん、ありがと!いくら?」

「よろしいよろしい、こないだ直したとこでっさかいに」

これで通ってしまおります。(v_v)

2006年11月現在では、もう親父も年齢的に自分で修理をする事は無くなりましたが。

「50件修理を受けたら1件くらいはありましたか。私はこれを”再修率”と言おりますが。50件に1件は2%です。過去に色んな方に修理依頼してみて最高は4%くらいの方も居ました。」

再修率2%ではダイエーの中では通らないのです。通らないだけならまだしも、自分がお客様から怒鳴られるのも嫌なものです。親父は個人店ですから自分で修理して自分で接客するので、それで通ってますが、こちらは間に入って接客するので大変な訳です。前にも書いた”自分が手がけない物を売る”事と同じです。

その状態では親であれこれ以上は頼めない。何度か話し合いましたが親父の意見は「ダイエー言うたら難しい事言う人が多いのやなぁ。人間がする事やのに何でも完璧に行くかいな。それやったら、そう言う修理が出来る所を探せ。」となって1990年頃から修理は外注する様になった訳です。もっとも再修率のみではなく性格の問題もあります。

何たって親父に頼むと修理の納期を5日過ぎても出来ていない。当然お客様は怒っております。親父に問い合わせると「昨日から孫が来てるのにOHしてるより孫と遊びたいがな!」でお終い。お客様にどう返答すれば良いのだ?

おまけに出来上がったら”見積もりよりも5.000円くらい高い”。7000円見積もりの修理で連絡も無しで5.000円も高く請求されたらお客様は当然怒ります。

親父の店での修理預かりはそれで通ります。納期が遅れても「すんません、昨日から孫が来ているもんで集中して掛かれまへんねん」で通ります。見積よりも高くなっても「やっぱり部品も替えんとあきまへんでしたわ。」「えっ?見積と違う。そりゃぁ、お客さん見積は見積ですがな。掛かった費用はしょうがおまへんわ」これで通してしまおります。

そこがお客様も減ってくる理由でもありますが。でも得意様にはそんな親父が気に入ってる人も居ます。何たって時計については素人な人が相手の修理です。そういう方にとって”ちょい直し”をやってくれる所は便利な訳です。

もちろん一限さんにはやりませんが。付き合いの長い人でクレームを言わない人なら本来はOHで12.000円とか掛かるところを”調整のみで3.000円、そのかわりまた調子が悪くなったら再調整はお金頂戴ね”何てこともやっていました。そんな感覚でダイエーの中で修理の受付などしていたらどうなるかはご想像通り。

この頃でしたか。いったい他の時計屋さんの修理はどんな状況なのだろう?と思ったものです。

50件に1件は再修理で戻ってくる。でもその時にまた修理対応する。これって私の父は修理がヘタなのか?と思ったものです。ヘタうんぬんではなくて「絶対に再修理にならない修理をするぞ!」と思ってやるか。「これで止まるようなら、また手間を掛ければ良いか」って感覚の違いです。もっとも予算限定では本来は交換が必要な部品もそのままで”しばらく使って様子を見てください”と、やるからそうなる訳です。

これをキチンと直すには”部品交換が必要なので予算よりも7.000円余分に掛かります”。として承諾を得られ無い場合は返却。これが正しい対処なのですが。あまり四角四面に考えない親父らしさでもあります。

これでも店のお客様で親父にクレーム付ける人なんておりません。(年輩の馴染みの方が多いのもありますが)最近では時計店も少なくなって来たので、存在するだけで有り難がたく思って頂ける方も多いのですが、反面そんな対応しているから食えなくなって来ているのも事実ではあります。

ダイエーという中で営業する限り修理の受付で50件に1件の再修理があってはいけません。再修理はまだ良いとしても「納期が分からない」これは致命的です。実際には修理する方では部品交換が必要な場合、部品が届かなければ直せません。その部品が間違って届く事もあれば信じられ無い期間を待たされる事もあります。また1000円の部品に送料を800円とかを掛けられないので他の部品の発送と一緒という事になれば部品の入荷日が後回しになって、どんどん納期が遅くなります。

親父などは1990年当時で、もう67才、年齢的にも根気が無くなり始めた頃。そして孫が来ていたら遊びたいです。でもそれが納期が遅れる正当な理由とされては自分の顔で修理受付けしている私はたまりません。お客様に返答のしようがない。

そこで修理の外注先を探すことになります。時計店は修理専門の職人さんを”仲間職”と呼んでおりますが。さて問題は何処に頼むか?何処が信用出来るか?何処にそういう所があるのか?さっぱり分かりません。職人さんと言っても人間ですから親父と同じ感覚の人なら外注する意味がありません。外注するには近いほど便利な訳です。ところが自転車で行ける範囲優先で探すことになと4大都市でも無い限りは近場にそういう人は居ません。まだ1990年頃では”小荷物”ってものがまだ一般的では無かった訳です。

また1990頃はインターネットもまだ一般的では無く、電話帳などに載せていない所も多く困りました。さぁ何処に依頼する?さっぱり手がかり無し。

4大都市になると1990年頃までは”仲間職”って職業が成り立っていました。そうビルのワンフロアーか何部屋か借り切って職人さんが結集した修理専門会社です。そういう会社が各時計店と契約して週に2度くらい修理品を集めて回る訳です。今そういう業種は4大都市でも残っている所は数件と聞きます。もう地方では絶対数が少ないので仲間職人の会社では成り立たない状況ですね。需要が少な過ぎる訳ですから。

また多くの依頼が出せる店は、1990年頃までは外注などしないで”店に職人を雇っていた”。つまり職人を抱えても採算が合う訳です。ところが1990年頃はG-SHOCKなどが全盛で腕時計を直してまで使う人は激減した頃ですね。よって業界でも昔から時計店で職人として修行した方などは、たくさんリストラされた時期でもあります。修理が無いので給料が払えないのですから仕方が無かったのですね・・・。

それが何故分かるかと言えば、当時そんな方から良く飛び込み的な電話がありました。勤めていた店が職人を抱えきれなくなって来たので、自分で仕事を取らないと食っていけません。とか”本業の傍らになりますがお宅の仲間修理受けさせて貰えませんか”とか。”独立しましたので仕事頂けませか”などなど。やはりダイエーの中の店って修理の需要も多いと思って電話を掛けて来られたものと思おります。なりふり構って居られなかった時期だったのでしょう。

丁度こちらも職人さんを探していた頃だったので何人かの方に依頼した時期もありました。でもネックになるのは送料。当時は今みたいに安くは無かったですから。
兎に角は色んな職人さんに依頼してみます。年齢的には当時で50代後半か60代の方が多かったですか。修理の出来具合の結果は親父と似たりよったり。つまり50件に1〜2件は再修理はあります。ただどの方も共通なのは3週間くらいは納期遅れの連絡もありません。それ以上はさすがに連絡があるのですが。

それを言うと”最初から3週間で受けて欲しい”となります。でも当然ですが、場所がダイエーの中だけに納期に3週間と言えば預けて頂ける人は半減します。ガラス交換で3週間と言えば”もういいわ”となりますね。すると10日と言って、ずるずる3週間まで連絡無しで引っ張る訳です。これではクレームを受けるのは私ですから即刻依頼は中止です。

過去の経験からこういう事を平気で出来る人は話し合いをしても無意味な人が多いのです。今はダイエーの中では無く、また店頭預かりでも無く送って頂く預かりなのでゆっくりしておりますが。でも店の店頭持ち込みのお客様は今でも修理は10日も経てば殆どの方が電話か来店されてきます。

理想はやはり7日です。メーカー修理でも何処も10日〜14日以内で戻って来ますから。腕時計に興味が無い一般的な人って所持する腕時計は一個なのです。つまり”それが無くては困る”訳です。今の時代腕時計は2個くらい持てよ、と思う方も居ます。

では車に例えたらどうでしょう。今の時代まだ一人で2台が常識の時代でも無いと思おります。その車を3週間預けてくださいと言われたら敬遠します。それと同じなのですね時計を1本しか所持しない人に取っては。「納期」これは修理を外注するものに取っては課題の一つなのです。

私でも車の修理に3週間掛かると言われたら嫌ですからね。店頭に立たない修理専門の人ってお客様の顔が見えないですから納期には鈍感方が多いのだなというのが感想です。”自分の仕事は確実に腕時計を直す”という事には真摯ですがお客様感情までは汲むのは無理な話か?。そこを仲に入って調整するのが店頭に立つものの仕事と言われればそれまでですが。また当時どの職人さんも雑貨ウォッチには触れようとはしませんでした。当時の雑貨ウォッチの質も影響しておりますが。

この頃”仲間受けさせて”って依頼が結構ありました。当時それだけ時計職人さんが過剰になっていた事が分かります。分かりやすい比喩としては今、歯医者さんが多いですが”虫歯にならない歯磨粉が発明された”と考えてください。そして歯の治療をする人が激減したらどうなるか?って感じですね。ある意味クォーツの発明よるクォーツショックの影響はこんな所に出ていた訳です。

昔から親父に”修理を覚えろ”と良く言われました。でも実際に店頭に立っていて修理が激減する様を自分で体験しておりますから修理で一人前になろう何て思えなかったです。

店での修理売り上げが10万円くらいしか無くなって来た頃です。まるまる利益でも10万では食えないです。そしてその売り上げも下降の一途なのですから。
それよりも店がダイエーの中でしたし売上げはバブルに向かって増えていた頃です。販売で生きる事しか浮かばないなのは仕方が無かったですか、でも若かったですね。
今、その目指した販売で食えなくなっているのも事実なのですが。

そして今、ネットで全国から修理受付している訳ですが当時では想像も付かない話です。1980年代ってインターネットどころかまだクロネコヤマトさえ無かった時代ですからね。(v_v)
あの頃、時計の修理を真剣に覚えていたらCooの腕時計はもっと面白いものになっていたかも知れないですね。

長くなりました雑文ですが職人さん探しはまだ続きます。それは次回ということで。

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